今回FJ時事新聞ニッポンニュースで紹介するのは、池袋からほど近い、東京都文京区にある護国寺だ。
天和元年(1681)2月、5代将軍徳川綱吉によって建立された、真言宗豊山派の護国寺は、正式名を「神齢山悉地院大聖護国寺」という。
明治16年と大正15年の火災で堂宇の多くを失うも、元禄期の観音堂(本堂)、近江三井寺より移築された桃山期の月光殿(重文)は、震災、戦災2度の大災害では罹災せず、今日までその建築美を伝えており、どちらも国指定重要文化財に指定されている。
護国寺に行ったことがない人でも、この寺院の存在を知っているのは、この寺院に眠る著名人や、この寺院で催された著名人の葬儀によるものだろう。
三条実美、大隈重信、山縣有朋といった明治の元勲や極真空手創始者・大山倍達が護国寺に眠っており、熱狂的な信者が現在もいるシンガー・ソングライター尾崎豊の葬儀は護国寺で執り行われ、歴史好きや極真空手好き、尾崎信者が今でも”聖地”として訪れたりしている。
ちなみに筆者は、尾崎豊と同じ埼玉県居住ではあるが、名前を知る程度だ。
では、早速護国寺を巡ってみよう。
都道437号線に面し、入口としての役目を担ってるのが仁王門だ。
観音堂(本堂)よりやや後の時代に建てられたと考えられ、両脇に金剛力士像、背面(北側)の両脇には二天像(右側は増長天・左側は広目天)の仏法を守る仏像が安置されている。
この仁王門をくぐると、奥に階段が見え、その先にまた門が見えてくる。
この門が、不老門だ。
不老門は、護国寺の境内にある建造物の中では比較的新しい昭和13年(1938)4月に三尾邦三氏の寄進によって建立された。
階段を登り、不老門をくぐると、左手に現れるのが多宝塔だ。
五重塔などを見慣れた人間からすると、重なりが少なく、物足りないと思うかもしれない。
逆にいえば、その重なりが少ないところが馴染みやすい雰囲気を醸し出しているともいえよう。
多宝塔の反対側には、大仏(毘盧遮那仏)がある。
護国寺の大仏は、筑波権現(現在の筑波山神社)の別当寺だった護持院が、明治維新の政策「廃仏毀釈」で廃寺となった際に、金剛力士像、地蔵菩薩像、銅製多宝塔と共に筑波山から移したものだ。
これまた先程の多宝塔同様にやや小ぶりな大きさの大仏であるのが馴染みやすい印象を参拝客に与えているといえよう。
今来た参道を振り返ったのが↓の写真だ。
植木職人の手入れがゆき届いた樹木が適度にあり、灯籠・門がうるさくもなく、樹木がうるさいわけでもなく、程よく共存しているのが何気に良かったりした。
後ろを振り返ったあとは、真っ直ぐ前を見て進むのみで、もうそこには護国寺の観音堂(本堂)があるのみだ。
元禄10年(1697)に建立された観音堂(本堂)は、江戸・元禄期における建築工芸の粋を結集した都内随一の大建造物と賞され、江戸時代の面影を現代に伝え、心の安らぎを与えている。
以上、今回は東京の都心にありながら長閑で心が和み、ほっこりするようなミニマム感のある多宝塔や大仏もある護国寺に行ってみた。
護国寺は、池袋から東京メトロ有楽町線で2駅ということもあり、アクセスが良くおすすめの寺院だ。
暖かくなったらぜひ!
■大本山 護国寺
http://www.gokokuji.or.jp/