日本では、うどんと蕎麦がいつも比較される。
主に関西方面ではうどんが好まれ、関東方面では蕎麦が好まれる傾向があるのは周知の事実だが、時と場合によって「今日は蕎麦が食べたいな」とか「今日はうどんを食べたい気分だな」ということもあるかと。
そこで今回は、うどんではなく蕎麦について取り上げてみる。
蕎麦粉の種類
蕎麦といっても色が白かったり、黒かったりするのだが、これは使用している蕎麦粉の種類によって色が異なってくる。
その蕎麦粉の種類は4種類あり、一番粉、二番粉、三番粉、四番粉に大別される。
まずはその違いだが、一番粉は蕎麦の実を製粉した際に最初に出てくる粉をいう。
別名更科粉ともいい、味や香りが少なく、蕎麦を打つ際に繋がりにくい。
二番粉は、一番粉になる胚乳の周辺から取れる淡緑黄色の粉で、味や香りが引き立ち、栄養価が高い。
三番粉は、二番粉をさらに製粉し、蕎麦の実の一番外側から取れる黒っぽい粉をいう。
色・香りは、二番粉よりも引き立ち、栄養価も高い。
四番粉は、蕎麦の実を製粉した際に最後に挽き出される粉で、別名末粉ともいう。
高い香りでも、繊維質の多さから舌触りは良くない。
以上が蕎麦粉の種類だ。
蕎麦の分類
蕎麦を分類または定義する上で様々なカテゴライズがあるが、ここでは蕎麦御三家といわれる更科、藪、砂場、そして田舎蕎麦に分類してみる。
1つ目は更科。
寛政元年(1789年)に清右衛門という行商人が始めた「信州更科蕎麦処 布屋太兵衛」という店が更科の発祥といわれており、一番粉を使用しているため、白い麺が特徴。
2つ目の藪は発祥・創業時期は不明。
元々藪の中に店があったことから「藪蕎麦」と呼ばれるようになり、蕎麦の実の甘皮による緑がかった色の麺が特徴。
蕎麦つゆは、醤油の味が強く、しょっぱいのが特徴。
「蕎麦はつゆにちょこっとつけて食うのが粋だ」と今でもいわれる所以は、このしょっぱいつゆを当時の江戸っ子が実践していたことに由来している。
3つ目が砂場。
大坂城築城の頃、砂利置き場、すなわち「砂場」にできた蕎麦屋だからとのことで、この店名がついたといわれている。
大坂城築城に携わった人たちが、ささっと食べることができたので、砂場の蕎麦は大人気だったとのこと。
その後砂場は、徳川家康の江戸入府と共に大坂から江戸に移転し、現在本店は台東区三ノ輪にある。
甘くて濃い目のつゆが砂場の特徴だ。
4つ目が田舎蕎麦。
田舎蕎麦は、更科の対極にある蕎麦で、香りが高く、太く黒い麺が特徴。
田舎蕎麦には明確な定義が存在せず、洗練された蕎麦が江戸の蕎麦で、地方の素朴な蕎麦を田舎蕎麦と分類しているとも、二番粉以降で作られた蕎麦を田舎蕎麦と分類しているともいわれている。
蕎麦の実の外側までを含む粉で打っているため、更科の蕎麦よりも栄養価が高い。
蕎麦粉の配合による蕎麦の分類
蕎麦粉の配合による蕎麦の分類もあり、十割蕎麦、二八蕎麦がある。
十割蕎麦はその名の通り蕎麦粉十割、すなわち蕎麦粉のみでつなぎを一切使用せずに打つ蕎麦をいう。
二八蕎麦は、つなぎとして小麦粉を2割、蕎麦粉を8割使用して打つ蕎麦をいう。
特徴としては、蕎麦の風味やのど越しのバランスが良いこと、小麦粉のつなぎが2割入ることで蕎麦打ちがしやすいことが挙げられる。
蕎麦の食べ方
砂場の説明の際に少し触れたが、蕎麦(ざる、盛り)はつゆに全部ひたすのではなく、蕎麦の端を少しだけつゆにつけて、後はズルズルと音を立ててすするのが粋な食べ方とされる。
あえてズルズルと音を立ててすする食べ方は、音を立てずに食事をするのがマナーとして染み付いている外国の方々には理解しがたいことだが、すすることで蕎麦本来の持つ香りが喉から鼻に抜け、その結果、味と香りの両方を堪能できるのが、蕎麦の最大の特徴であり、愉しみといえよう。
このような蕎麦をすすって食べる行為は、古典落語にも度々登場しており、江戸時代には確立されていたと考えられる。