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プロ野球界の「闘将」星野仙一氏、膵臓がんで急逝【連載:アキラの着目】

元プロ野球中日ドラゴンズのエース投手で現役中は「燃える男」、監督として中日ドラゴンズ、阪神タイガース、楽天イーグルスでの監督時代は「闘将」と呼ばれた星野仙一(ほしの・せんいち)楽天球団副会長(70歳)が、1月4日午前5時25分、膵臓がんにより急逝した。

2016年7月に急性膵炎を発症した際に膵臓がんであることが判明し、昨年末に病状が悪化。

「余命90日」といわれても、1年半膵臓がんと闘い続け、最後まで「燃える男」を貫いた。

近親者らで密葬を行い、後日「お別れの会」を開く予定。

星野仙一氏

現役時代は、マウンドで雄たけびを上げ、闘志を全面にむき出しにした投球で打者をねじ伏せた。

そこから「燃える男」の異名が付いた。

とりわけ読売ジャイアンツに対しての闘志は凄まじかった。

入団が有力視されていたドラフト会議では憧れの読売ジャイアンツからの指名がなく、読売ジャイアンツに入団できなかったからだ。

それをバネに1974年には中日ドラゴンズのエース投手として読売ジャイアンツのリーグ10連覇を食い止め、中日ドラゴンズの優勝に貢献した。

後の「世界のホームラン王」王貞治選手(現・ソフトバンク王貞治球団会長)との対戦では、攻撃的な投球で常に挑み続け、王貞治選手の宿敵であった。

現役引退後は中日ドラゴンズの監督として2度のリーグ制覇を達成、2002年には4年連続最下位だった阪神タイガースの監督に就任、2年目で優勝を達成した。

楽天イーグルスの監督に就任した直後の2011年3月に東日本大震災が発生、被災地を勇気づけるべく就任2年後の2013年に宿敵・読売ジャイアンツを日本シリーズで負かし日本一となった。

2014年を最後に監督を勇退した後も、楽天イーグルス球団副会長として被災地の復興とチーム強化に「燃える男」の本領を発揮した。

しかし、「燃える男」星野仙一氏も、残念ながら病魔には勝てなかった。

ご冥福をお祈りします。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099