道場破りとは?
かつて江戸時代においては、道場破りといわれる、腕に覚えのある武芸修行者がいた。
道場破りはその名の通り、他流派の道場に紹介もなくズケズケと入り込み、道場側を挑発し、他流試合を強要して、その相手方道場の師範代や高弟、道場主などを総て倒すのだ。
道場破りを果たすと、その道場の看板を破壊したり、または看板を道場破りの証として(=戦利品として)獲っていく。
この道場破り、時代劇でたまに見かけるのだが、実際にあったかどうかについては、諸説ある。
北辰一刀流・千葉周作の奇抜な道場破り対策
幕末期は剣術が盛んで、特に江戸三大道場(士学館:鏡新明智流・桃井春蔵、玄武館:北辰一刀流・千葉周作、練兵館:神道無念流・斎藤弥九郎)は技量、門下生の数ともに他道場を凌駕していた。
その江戸三大道場の中の玄武館に、新陰流の流れを汲む、九州北部出身の剣士・大石進が道場破りに現れた。
槍の名手であった大石はその技術を活かし、竿のように長い竹刀で素早い突きを得意技とし、江戸の道場破りで無敵を誇った。
桃井春蔵の士学館も大石の長い竹刀の餌食となった。
千葉周作は、大石の長い竹刀を見て「あんなに長い刀を実際に使う奴はいない(当時、刃渡り2尺7寸=約70cm以上の刀を提げるのは禁止)。あの長い竹刀は『器械』だ。『器械』には『器械』で対抗するのみ」と言い放ち、道場裏手に引く。
しばらくすると千葉は、樽の蓋くらいの巨大な直径の鍔を竹刀につけて現れ、大石の試合に応じたのだった。
”規格外”の長い竹刀と、これまた”規格外”のでっかい鍔の竹刀とでは、結局勝負が着くわけがなく、引き分けになったと言い伝えられている。
まっとうな勝負で大石進に勝てたのは、直心影流の宗家・男谷信友(精一郎)だけだったとのこと(異説あり)。
因みにこの直心影流・男谷信友こと男谷精一郎は、どのような相手でも手合い(試合)を受けることで有名なのだが、「叔父上には歯が立ちません」と、唯一勝てない相手として、勝小吉(勝海舟の父親)の名を挙げている。
なので、歴史ヲタの間では「勝小吉最強説」もいわれたりしている。
千葉周作の奇抜な道場破り対策から学べること
道場破りという、極めて卑劣で、武道精神にも悖るような愚かな人間に対し、千葉周作が採った行動は、極めてシンプルなものであった。
”規格外”長尺のインチキ竹刀の奴に対し、まともに対処してたらバカらしい、っていうことで、こちらも”規格外”鍔のインチキ竹刀で対抗したのが、なかなか滑稽で、かつ素晴らしい。
頭が柔軟で、スマートでないと、このような道場破り対策は思いつかないものだ。
幕末の事象であるが、千葉周作の奇抜な道場破り対策から学べることがあるから、歴史は面白い。