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セブンイレブンは豊洲から始まった!【連載:アキラの着目】

「数あるコンビニチェーンの中で、蕎麦やそうめんはセブンイレブンのものが1番好きだな」
「セブンイレブンのアイスコーヒーが1番美味しい!」
「セブンイレブンはなんてったって、イトーヨーカ堂グループだから信頼高いよね」

これらは、筆者の周りにいる友人・知人の言葉なのだが、確かにそうだなと思えるフシがある。

私も夏場はあっさりした食べ物を、ということでコンビニの蕎麦を頻繁に買うのだが、様々なコンビニの蕎麦を意欲的に食べ比べしようとは思っていないのに、いつの間にか自分の中でコンビニ蕎麦のランキングができており、その1番はやはりセブンイレブンの蕎麦なのだ。

そんなコンビニ業界の雄・セブンイレブンを、それも1号店について取り上げてみたい。

今でこそコンビニ業界のトップであるセブンイレブンだが、展開当初は資金力が非力で、また当時はオイルショックによる物価高騰の影響を受け、出店費用が計画の2倍に膨らんだこともあり、開業時期が3年くらいしか違わないマクドナルドのような一等地への出店はとても無理な状況だった。

したがって、良い立地は入手できず、入手できたとしても手が出せないから、郊外型の立地にならざるを得なかったのだ。

そんな状況の時に、海のものとも山のものともつなかい、展開当初のセブンイレブンに手紙を出し、出店を直訴したのが豊洲の酒屋店主・山本憲司さんだ。

19歳の時に実父が他界した山本さんは、家族を養うために大学生でありながら家業の酒屋を継いでいた。

手紙を出すに至った経緯は、配達に明け暮れる酒屋は薄利で将来的展望がないから、ここは一丁コンビニという得体のしれないアメリカ生まれの流通業態に挑戦し、賭けてみようということからだった。

その結果、山本さんはセブンイレブン国内第1号店に選ばれ、1974年5月15日、東京都江東区豊洲4-6-1の地に、そのセブンイレブン国内第1号店が誕生したのだった。

セブンイレブン国内第1号店 画像提供:セブン&アイ・ホールディングス
セブンイレブン国内第1号店
画像提供:セブン&アイ・ホールディングス

今でこそ豊洲は高層マンションや巨大ショッピングモールがあり、”ファミリーの街”となっているが、この当時の豊洲は地下鉄有楽町線もなく、工場、倉庫、空き地しかない埋立地に過ぎなかった。

因みに開店初日、1番最初に売れた商品はサングラスだったそうだ。

1993年からセブンイレブン記念財団理事長も務めている山本さんは、長年のコンビニ経営から得たことを『セブン‐イレブン1号店繁盛する商い』という本を出したりもしている。

この著書には、今のコンビニでは当たり前となっていることが、セブンイレブン発祥であることも紹介されている。

例えば、
●「おにぎりと弁当を置きたい」といい出したのは鈴木名誉顧問
●お客様の立場に立つと、接客の現場ですべきことが見えてくる
●店の繁盛の成否は、需要があるのに店がそれに気づいていないから
●チェーン加盟店が増えれば、スケール・メリットも享受できる
などだ。

最後の「チェーン加盟店が増えれば~」は、特に興味深い。

店舗面積が狭いコンビニは、多くの在庫を置く場所がないため、当初は卸売業者に小分け配送してもらうしかなかったが、小規模店への少量配送など卸売業者は最も嫌がることだ。

そこで小規模店でも少量配送してもらうにはどうすればいいか。

その答えが、同じ地域にまとまった数の店舗を出店するドミナント戦略だ。

ドミナント戦略により、配送効率が上がり、コストが軽減された。

また、ドミナント戦略は同じ地域に多数出店するので、目立つ存在となり、顧客への認知度を上げる宣伝効果もあったのだ。

以上みてきたような、1酒屋店主のフロンティア・スピリットから第1号店はスタートし、それプラス、セブンイレブン上層部のアイデアや戦略によって、現在のセブンイレブンになったのだ。

マクドナルドやケンタッキーフライドチキンのような恵まれた環境からのスタートとは正反対なのに、成功しているのが面白い。

現在のセブンイレブン豊洲店 Google ストリートビューから引用
現在のセブンイレブン豊洲店 Google ストリートビューから引用
FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099