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芋問屋があったから!? 六本木・芋洗坂、名前の由来【連載:アキラの着目】

「じゃあ、アマンドの前で待ち合わせね!」

六本木で待ち合わせとなると、こんなふうに大抵の人が六本木のアマンドを待ち合わせ場所に使った経験があるはずだ。

今回のニッポンニュースは、六本木のアマンドについてではなく、そのアマンド脇を通る小路にある芋洗坂について触れてみる。

六本木の芋洗坂
六本木の芋洗坂

東京の坂には、ご丁寧にも坂の脇に木の立て札が設置され、坂名の由来や歴史等が記述されている。
六本木の芋洗坂

芋洗坂もご多分に漏れず、「この坂の近くに芋問屋があったため」、芋洗坂という名前になった旨が記述されている。

「芋洗坂。日ヶ窪より六本木へ上る坂。坂下稲荷社あり、麻布氷川の持也。毎年秋、近在より芋を馬にてはこび来り、稲荷宮の辺にて日毎に市あり、ゆへに名付けるかと江戸砂子に見ゆ」(『新編江戸志』1917年)と書かれた文献もあり、この坂近辺で馬が芋を運んでたから、芋洗坂という名になったとの説もある。

また、『東都歳事記』(1838年)における「そろって浄土に弥次喜多道中膝栗毛 - 芋洗坂」では、「八里半 〇芋」と焼き芋屋が描かれており、芋に縁があるから芋洗坂と命名されたとする説もあるのだ。

『東都歳事記』(1838年)における「そろって浄土に弥次喜多道中膝栗毛 - 芋洗坂」で描かれた「八里半 〇芋」(右ページ内)
『東都歳事記』(1838年)における「そろって浄土に弥次喜多道中膝栗毛 - 芋洗坂」で描かれた「八里半 〇芋」(右ページ内)

ちなみにこの芋洗坂の焼き芋を「八里半」といっているのは、「栗(九里)に近い」味だからだ。

駄洒落好きの江戸っ子ならではの表現だ。

話を元に戻そう。

このように、芋に関係しているから、この坂は芋洗坂と命名されたということになっているのだが、実は以前からこの由来説に対する異論があるのだ。

芋関連ならば、「芋坂」でいいではないか、なのに「芋洗坂」と命名するのは不自然だ、という説だ。

さらに芋関連説に対抗する説が、以下2つだ。

1つの説はこう。

古代日本において「いも」は「あばた、湿疹、ふきでもの、天然痘による皮膚のブツブツ」といった疱瘡の意味があり、これらの治療法はひたすら綺麗な水で患部を洗うものだったそうだ。

現在も芋洗坂途中にある朝日稲荷は、そうした疱瘡を治療するのにご利益のある疱瘡神を祀っていたから芋洗坂となったとする説だ。

2つ目の説は1つ目の説に似ており、次のようなものだ。

「寛延三年図」という古地図では、朝日稲荷北側にある法典寺境内に「弁才天」の記載があり、弁天様には池がつきものなので、ゆえに当時この坂近くに池があったと考えられ、その池の水が「いもあらい」の治療水であったであろうから、芋洗坂となったとする説だ。

一番最後の説は、江戸研究・時代考証専門の横関英一氏が自身の著書『江戸の坂東京の坂』(中公文庫 1970/01)で唱えたものだ。

筆者も芋洗坂名称の由来は、この横関説が最もしっくりくると思っている。

今でこそ日本人・外国人問わず賑わう東京有数の繁華街・六本木だが、昔は皮膚病に悩む人たちが治療に訪れた地であった可能性が高いということがおわかり頂けたことかと。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099