東京都港区に百年の時を経て蘇った酒蔵、東京港醸造【連載:アキラの着目】

東京都港区に百年の時を経て蘇った酒蔵、東京港醸造【連載:アキラの着目】

10か月前

日本の首都・東京、それも港区に酒蔵があるといったら、大抵の人は「え、マジで?」と訊き返すに違いない。

それというのも、ビルが並び立つ都心で酒蔵があるわけがない、酒蔵があるのならば、とっくに知っているはずだ、という思い込みがあるからだ。

また、酒蔵というものは、米どころで美味しい水が豊富な地にないと、美味しい日本酒を造ることができない、と一般的には思われているからだ。

ところがどっこい、冒頭で言及したように、東京都港区芝に酒蔵が存在するのだ。

その酒蔵は東京港醸造。

東京港醸造HPから引用
東京港醸造HPから引用

東京港醸造は、元々1812年よりこの芝の地で造り酒屋を営んでいた若松屋の流れを汲んでいる。

江戸から明治へと時代が変遷し、後継者問題や酒税法の変化に伴い、若松屋は約100年間続いた酒造業を1911年に廃業したのだが、激動の幕末を生き抜いた若松屋の歴史と伝統に敬意をはらい、同じこの地で新たに酒造りを復活させるべく、東京港醸造は立ち上げられたのだ。

そんな東京港醸造の造る日本酒は「江戸開城」という銘柄だ。

純米大吟醸原酒「江戸開城」 東京港醸造HPから引用
純米大吟醸原酒「江戸開城」
東京港醸造HPから引用

「江戸開城」にしたのは、明治政府の参謀・西郷隆盛と、旧江戸幕府の海軍奉行・陸軍総裁を務めた勝海舟が「江戸城無血開城」について会談したのが、酒蔵のある港区芝であったためだ。

とりわけ純米大吟醸原酒「江戸開城」は、兵庫県産の特等山田錦45%で造られ、穏やか香りでまとまり感があり、山田錦らしいコクと切れの良さが際立つ最高の一本だ。
山田錦らしいコクと切れの良さとが特徴

幕末やその当時の志士たちに思いを馳せながら「江戸開城」を呑むと、格別な味わいとなろう。

【東京港醸造 詳細】

・所在地:東京都港区芝4-7-10
・TEL:03-3451-2626
・営業時間:11:00-19:00(月-金)11:00-17:00(土)
*2020年7月8日現在、特許申請中のため蔵見学実施せず

■東京港醸造|大都会に蘇った酒蔵
http://tokyoportbrewery.wkmty.com/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

2020-7-8 4:56

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ここは一体東京のどこ?~Part14~【連載:アキラの着目】

ここは一体東京のどこ?~Part14~【連載:アキラの着目】

1年前

FJ時事新聞ニッポンニュース恒例の、昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第14弾。

ではいつもの通り早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.虎ノ門

虎ノ門(文化庁前)

正解は虎ノ門。

小林清親が描いた明治初年の虎ノ門で、洋風建築物は旧工部大学校の校舎。

今は同じ場所に文化庁東館が建つ。

外堀通りはその名の通り元々は江戸城の外堀だったところで、その外堀を埋めて道とした。

明治初年であれば外堀は”健在”で、水面に逆さの工部大学校校舎が映っているわけだ。

A2.御茶ノ水

御茶ノ水

正解は御茶ノ水。

この明治期における御茶ノ水の写真は有名。

この川は言わずと知れた、江戸城の外堀の役目も持つ神田川。

一見すると、自然な河川だが、この神田川は人力で掘られて造られた「人工物」。

徳川家康江戸入府の頃は、左右の陸地が繋がった駿河台で、2代将軍・徳川秀忠の命を受けた伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)を開削したことにより湯島台(写真左)と駿河台(写真右)とに分離されたのだ。

A3.新宿東南口

新宿東南口

正解は新宿東南口。

古い写真は昭和30年代に撮影されたもののようだ。

平成になったかならないか頃まで、この新宿東南口は変わらず、若い頃の筆者の記憶では、ガラの悪いパッとしない場所だった。

古い写真の180度正反対の側に、ヤクザ映画専門の映画館があったのも、この地のガラの悪さに拍車をかけてた。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

虎ノ門の今昔

虎ノ門の今昔

御茶ノ水の今昔

御茶ノ水の今昔

新宿東南口の今昔

新宿東南口の今昔

今後も気になる昔の東京の街の写真や浮世絵、錦絵、木版画を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

2020-1-16 4:56

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明治時代刊行の美しい図案集「美術海」、驚きの無料ダウンロード【連載:アキラの着目】

明治時代刊行の美しい図案集「美術海」、驚きの無料ダウンロード【連載:アキラの着目】

1年前

古今東西の様々な芸術作品がアーカイブされているスミソニアン・ライブラリー。

そのスミソニアン・ライブラリーのアーカイブの中には、日本の貴重な美術絵画や図案もあるのだが、なんとそのうちのあるデータを無料ダウンロードできるというのだから、驚くしかない。

その無料でダウンロードできる日本の貴重な美術絵画や図案というのは、明治時代に刊行された図案集の「美術海」だ。

当時流行った図案からオーソドックスな古典的文様もあれば、オリジナリティ溢れる美しい図案も載っているという素晴らしい図案集なのだ。
明治時代に刊行された図案集の「美術海」

明治時代に刊行された図案集の「美術海」
明治時代に刊行された図案集の「美術海」

というのも、「美術海」は、神坂雪佳とその彼の後継者と目された新進気鋭のデザイナー・古谷紅麟が刊行に携わったこともあり、彩り豊かで動きのある図案が豊富に掲載されているのだ。

これらの図案から当時の芸術センスを垣間見ることができ、デジタル全盛の現在、極めてアナログな手法で描かれた図案には、大変興味をそそられることだろう。

芸術分野やデザイン分野に携わっている人はもちろんのこと、ファッション分野の人にとっても、「美術海」からインスパイアするアイデアが多く出てくるはずだ。

「美術海」のダウンロード方法は、このページの最後のリンクをクリックするとボックスが開くので、そこで「PDF/ePub」というボタンから「PDF」をクリックするとPDFファイルで「美術海」をダウンロードできる。

日本の貴重な美術絵画や図案が無料でダウンロードできることで、時空を超え、次世代に過去の芸術や図案が継承され、新しいセンスの糧となったり、融合したりできるのは、今後の芸術・デザインにとってありがたいことだ。

なお、図案集「美術海」は芸艸堂(うんそうどう)の版権所有で、現在も図案集がオフセット印刷にて再販されている。

なお、図案を商用利用する際は、芸艸堂に念のため一度問い合わせてみるのが良いだろう。

■ Shin-bijutsukai v. 1 | Smithsonian Libraries
https://library.si.edu/digital-library/book/shinbijutsukai1

■ Shin-bijutsukai v. 2 | Smithsonian Libraries
https://library.si.edu/digital-library/book/shinbijutsukai2

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

2019-10-29 4:56

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ここは一体東京のどこ?~Part3~【連載:アキラの着目】

ここは一体東京のどこ?~Part3~【連載:アキラの着目】

3年前

昔の東京の街に関する写真や絵を見て、それがどこなのかをあてるシリーズの第3弾だ。

では早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこなのか?

Q2.ここは東京のどこなのか?

Q3.ここは東京のどこなのか?

おわかりになったであろうか。

では順番に正解を発表する。

A1.湯島聖堂脇の坂道

湯島聖堂脇の坂道

さきほどの絵は、明治時代の画家・小林清親の東京名所図「湯島元聖堂」(1879年)だ。

昔のままの壁があり、向こう側に降りる坂が見受けられることから、左側の壁の中は湯島聖堂とわかる。

A2.高輪付近

高輪付近

さきほどの絵は、同じく小林清親の東京名所図「高輪半町朧月景」(1879年)だ。

日本最初の鉄道・新橋-桜木町間の敷設計画では地元の大反対にあい、現在の港区海側における鉄道用地の収用ができなかった。

そこで陸がダメならば、海に陸を築き、そこに鉄道を通せばいい、ということで、絵のように鉄道は海上を走る格好となった。

現在この地は、リニア新幹線の東京始発駅として決定し、絵のような朧月をじっくり観賞できるような風情とは無関係の地になってしまった。

A3.愛宕山山頂(愛宕神社)

愛宕山山頂(愛宕神社)

さきほどの絵は、明治時代前期の浮世絵師・版画家である井上安治の東京名所絵「東京真画名所図解 愛宕山」(1881-1889)だ。

高層建築がない時代において、東京都心部で最も高い場所が、愛宕神社のある愛宕山(標高25.7m)で絶景スポットだったのだ。

以前のニッポンニュース(「東京23区内の最高峰・愛宕山(東京都港区)に登ってみよう! 【連載:アキラの着目】」)でも取り上げたので、覚えていれば、この第3問は簡単だったかもしれない。

では最後に恒例の今昔対比でおさらいを。

湯島聖堂脇の坂道

湯島聖堂脇坂道の今昔対比

高輪付近

高輪付近の今昔対比

愛宕山山頂(愛宕神社)

愛宕山山頂(愛宕神社)の今昔対比

今後も気になる東京の街の浮世絵や錦絵、昔の写真を見つけたら、取り上げてみたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

2018-9-15 4:52

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ここは一体東京のどこ?【連載:アキラの着目】

ここは一体東京のどこ?【連載:アキラの着目】

3年前

世界でも有数の都市に数えられる東京。

しかし、東京といえども、一朝一夕でここまでの大都市になったわけではなかった。

江戸時代には100万人超の人口を抱えていた大都市ではあったが、現在の視点で捉えると、経済成長期前までは、まだまだローカル色の強そうな街だったのだ。

そこで今回は、まだまだローカル都市っぽかった頃の東京の街の写真3枚をピック・アップし、どこの街かあててみてみよう、というクイズにしてみた。

では早速問題へ。

Q1.ここは東京のどこの街なのか?

Q2.ここは東京のどこの街なのか?

Q3.ここは東京のどこの街なのか?

3枚の写真全てがわかった人はかなりの東京通(とうきょうつう)だ。

では順番に正解を発表しよう。

A1.渋谷道玄坂

渋谷道玄坂

ちょうどこの分岐点で左に上る坂が道玄坂だ。

いまでこそ若い女の子の圧倒的支持を受けた「渋谷109」が高く聳え立ち、ランドマークとして渋谷を象徴しているが、明治時代の道玄坂はなんとも長閑で、どこの田舎の宿場町なのかと思えるくらいだ。

ここまで変わることができるのか、という街の変遷サンプルに最もふさわしいスポットかもしれない。

A2.西新宿

西新宿

貯水池のようなエリアがヒントとなり、これから西新宿と判別できる。

この貯水池のようなエリアは、明治31年(1898年)に通水し、昭和40年(1965年)に廃止となった淀橋浄水場だ。

この広大な淀橋浄水場の跡地に高層ビルが次々に建てられ、平成2年(1990年)12月には東京都庁舎が建てられた。

現在の写真を見れば、もう一目瞭然で西新宿と判別できるだろう。

因みに昔の地図では西新宿という地名は存在せず、この淀橋浄水場一帯を「角筈(つのはず)」、また熊野神社よりも西側一帯を「十二社(じゅうにそう)」と呼んでいた。

A3.丸の内(東京駅前)

丸の内(東京駅前・三菱ヶ原)

クイズに適した明治期の写真が見つからなかったので、明治23年頃に描かれたといわれている作者不明の「三菱ヶ原」という絵画を設問の素材に使用したのだが、この丸の内も昔と現在がかけ離れすぎて、驚いたかと。

元々この丸の内の場所は、明治政府からの払い下げで財閥の三菱が購入したエリアで、そのため三菱が購入した原っぱなので、当時は「三菱ヶ原」と呼ばれていた。

東京駅が完成してからも丸の内は相変わらず原っぱのままで、近所の子供たちがバッタを追いかけて、捕獲して遊んでいたのだとか。

現在、オフィス街である丸の内からはとても当時バッタが飛び交っていた原っぱだったとは想像できない。

最後にあらためて渋谷道玄坂、西新宿、丸の内の今昔写真を並列して締めくくることにする。

渋谷道玄坂の今昔

渋谷道玄坂の今昔

西新宿の今昔

西新宿の今昔

丸の内(東京駅前)の今昔

丸の内の今昔

今後もクイズに適した写真が見つかれば、第2弾、第3弾と「東京のどこの街なのか?」をやってゆきたい。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

2018-1-19 4:48

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