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寺院イベントの情報サイト「寺子屋ブッダ」【連載:アキラの着目】

我々おじさん・おばさん世代の中高における修学旅行では、京都・奈良の寺社巡りが主であった。

今でこそ寺院や神社に行くのは、最も日本らしい風景や文化の1つであるし、厳かな佇まいに触れることで、心が浄化されるような気がして、全然苦にならない。

しかし、中高生の頃は寺社巡りするのが解せなくて、「なぜもっと最先端のスポットを巡らないのだろう?つまらない!」と思っていたものだ。

現在は、訪日観光客の増加により、日本国内の様々な寺社が彼らに評価され、それが日本人にも伝えられ、あらためて寺社が日本人によって再評価され出したということもあるかと。

なので、現代の若者は、中高生時代の我々ほどの、寺社に対する”アレルギー”はないようだ。

むしろ、恋愛成就や縁結びのパワースポットとしての寺社がメディアで注目されるようになったことで、寺社巡りや御朱印集めに夢中になる若い女性が多く出現するようになった。

そうした流れに乗っかるように最近、お寺関連のサイトが多く見受けられるようになった。

その中で気になったのが、寺院イベントの情報サイトである「寺子屋ブッダ」だ。

寺院イベントの情報サイト「寺子屋ブッダ」トップページから引用
寺院イベントの情報サイト「寺子屋ブッダ」トップページから引用

学べるイベントや年中行事、身体を動かすヨガや、反対に身体を動かさない座禅、精進料理のイベントなど、カテゴライズされており、自分の気になる寺院イベントを探すことができ、便利なサイトだ。

実際に「寺子屋ブッダ」のトップページを見ると、「坐禅・マインドフルネス体験合宿」や「寺ヨガ&精進料理&ハイキング(自由参加)」、等々といった寺院イベントを掲載している。

気軽に寺院に足を運んでもらおう、仏教を身近に感じてもらおう、というコンセプトが感じられ、これまで仏教に馴染みのなかった人でもクリックしたくなるような作りになっている。

事前にお寺関連のイベントを調べたい人、仏教に興味を持った人は、まずは「寺子屋ブッダ」にアクセスしてみよう。

貴方に合った寺院イベントがきっとあるはずだ。

■お寺イベントの情報サイト 寺子屋ブッダ
https://www.tera-buddha.net/

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士が眠る泉岳寺(東京都港区)【連載:アキラの着目】

今回取り上げるのは、青松寺、総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺の1つに数えられる萬松山泉岳寺(以下文中表記は泉岳寺)だ。

泉岳寺は、慶長17年(1612年)に徳川家康が、幼少時に身を寄せた今川義元の菩提を弔うために、門庵宗関和尚(1546年~1621年)を招いて、江戸城近接の外桜田に創建された曹洞宗の寺院だ。

寛永18年(1641年)寛永の大火によって泉岳寺は伽藍を焼失し、三代将軍・徳川家光(1604年~1651年)の命で、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷(みずのや)の5大名により、現在の高輪の地に移転再建された(正保年間〈1644年~1648年〉という説もあり)。

筆者にとっての泉岳寺は、家康がどうこう、家光がどうこう、というよりも、やはり浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)と赤穂四十七義士の墓所がある寺院としての印象が強い。

よくご存知ではない人のために、簡単に浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士による「赤穂事件」(「忠臣蔵」、「赤穂義士伝」ともいわれている)について説明すると…。

江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主・浅野内匠頭長矩が切腹に処せられた。

この一件では、一方的に浅野内匠頭長矩のみが切腹で、吉良上野介にはお咎めなしという裁定が下され、なおかつ赤穂藩浅野家は改易(お家取り潰し)になったことで、浅野内匠頭長矩家臣の大石内蔵助良雄以下赤穂四十七義士が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央らを討って、主君の敵討ちを果たした。

その後、赤穂四十七義士は、徳川幕府から切腹を命じられ、ゆえに、彼らの墓所がこの泉岳寺にあるということなのだ。

では、前置きはこれくらいにして、実際に行ってみよう。

都営浅草線・泉岳寺駅西側に位置する坂を登った突き当りに泉岳寺はある。

ちょうど坂を登りきった辺り(伊皿子坂の起点)に、泉岳寺周辺の地理を把握できる「高輪潮の香散歩」という地図があるのだが、

泉岳寺周辺の地理を把握できる「高輪潮の香散歩」という地図

この地図を見ても見なくても、真正面には泉岳寺中門をしっかりと視認でき、

泉岳寺中門
泉岳寺中門
 

さらに奥の泉岳寺山門(「泉岳寺」と書かれた扁額)も視認できる。 

まずはとにかくこの泉岳寺中門を潜り、泉岳寺山門に到達しよう。

泉岳寺山門を潜る前に、門右手に泉岳寺境内の地図と、大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)の銅像があるので、それらを見てから参拝する。

泉岳寺境内の地図
泉岳寺境内の地図

大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)銅像
大石内蔵助良雄(おおうちくらすけよしお/よしたか)銅像

大石内蔵助良雄は、江戸本所の吉良屋敷表門に突入した大将で、赤穂四十七義士のリーダー的存在だ。

泉岳寺山門
泉岳寺山門

泉岳寺山門を潜ると、横広な本堂が視界に飛び込んでくる。

筆者は、あえて松の木越しに見たくて、そのポイントでスマホカメラを使って撮影。

松の木越しに見える泉岳寺本堂
松の木越しに見える泉岳寺本堂

↓は、今潜った泉岳寺山門の方を見返した写真で、先ほどの写真は、まさにこの斜めに聳え立つ松の木越しから撮影した。

泉岳寺山門
泉岳寺山門

本堂で参拝した後に撮影したのが↓の写真。

斜めから撮影した泉岳寺本堂
斜めから撮影した泉岳寺本堂

ここでもやはり、独特のうねりで成長した松の木を見ることができる。

さらに本堂南側に回り込むと、澤木興道(1880年~1965年)老師の銅像が現れる。

泉岳寺本堂と澤木興道の銅像
泉岳寺本堂と澤木興道の銅像

浅野内匠頭長矩と赤穂四十七義士の墓所は、泉岳寺山門南側の一角に「義士墓所」の立て札があるので、それに従って南方向に歩こう。

泉岳寺山門南側の一角にある「義士墓所」立て札
泉岳寺山門南側の一角にある「義士墓所」立て札

すると、「主税梅(ちからうめ)」なる梅の木が現れる。

この「主税梅」は、大石良金(おおいしよしかね)こと大石主税(おおいしちから)が切腹した松平隠岐守三田屋敷に植えられていたと伝えられている梅なのだとか。

主税梅(ちからうめ)
主税梅(ちからうめ)

「主税梅」のすぐ脇が国指定史跡「赤穂義士墓所」の入口だ。

国指定史跡「赤穂義士墓所」入口
国指定史跡「赤穂義士墓所」入口

ちなみに筆者が行った時は、ちょうど前方から戻ってくる西洋人カップルと出くわした。

「赤穂義士墓所」入口を進むと、左手には「赤穂義士記念館」が、

赤穂義士記念館
赤穂義士記念館

右手には「義士木像館」があり、これらには別の機会に立ち寄ろうかと。

義士木像館
義士木像館

さらに進むと、「義士墓入口の門」がお出迎え。

義士墓入口の門
義士墓入口の門

この門を潜ると、線香売り場があるので、そこで線香一束(税込100円)を購入し、義士たちへ線香をあげよう。

墓所には、来訪者のために墓の位置を記した「義士墓解説」が和文、英文2種類があり、これでどの墓が誰なのか把握できる。

義士墓解説(和文)
義士墓解説(和文)

義士墓解説(英文)
義士墓解説(英文)

筆者も他の訪問者同様に、義士たちの墓に線香をあげたのだが、墓石に刻まれた「享年」を見ると、20代、30代の若い義士たちが多く、彼らの多くが短い人生だったことに衝撃を受けた。

こう言ってしまうと、非常に失礼極まりないのだが、サラリーマンに例えると、てっきり中高年の役職クラスばかりだろう、という勝手なイメージを持っていただけに、呆気にとられてしまった。

個別に墓を撮影することはしなかったが、引いたアングルでは2枚撮影。

義士墓
義士墓

今回は駆け足で廻ってしまったこともあり、次に参る際は、もう少しじっくりと廻ってみようかと思った次第だ。

■曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺
http://www.sengakuji.or.jp/

・所在地:東京都港区高輪2-11-1
・アクセス:都営浅草線 泉岳寺駅下車(A2出口) 徒歩1分 約200m

※線香の料金は2018年3月6日現在のもの

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099

初詣で比較的空いている神社・寺院3選【連載:アキラの着目】

毎年行く初詣、参拝するまでに長い行列を並ぶのは嫌だな。

そんなふうに思っている貴方!

筆者の経験上、他の神社・寺院よりも比較的空いていると感じたり、思われる神社・寺院を3つおすすめする。

1.赤坂氷川神社

赤坂の某テレビ局からさほど離れていない距離にある赤坂氷川神社。

天暦5年(951年)武州豊島郡一ツ木村(人次ヶ原)に祀られたのが始まりといわれていることから、都内でもかなり古い神社だ。

なぜ空いているのかというと、筆者の浅はかな分析だが、雑木林に覆われ、赤坂といえども赤坂の繁華街からはやや離れ、住宅街にあるため、目立たないことがまず1つの要因として挙げられよう。

もう1つの要因は、近隣に大神社の日枝神社や、芸事に御利益のある豊玉稲荷が大通りに面し、有名なこともあって、それらの神社に参拝客が押し寄せることが挙げられよう。

個人的には都内で1番好きな神社で、実をいうとここで紹介したくないくらいだ。

■赤坂氷川神社
東京都港区赤坂6-10-12

・赤坂氷川神社 オフィシャルサイト
https://www.akasakahikawa.or.jp/

2.芝大神宮

JRの駅でいうと浜松町が最寄り駅で、第一京浜の西側に位置する芝大神宮。

こちらの芝大神宮も由緒あるお社で、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建されたとのこと。

この芝大神宮が比較的空いているのは、芝大神宮境内の西側200m先に増上寺があるからだ。

浜松町・大門に来る人の大多数は増上寺に参拝し、増上寺-大門-浜松町の参道から外れた、参道北側裏手の路地に入って、芝大神宮に参拝する人は圧倒的に少ないのだ。

しかし、この芝大神宮も個人的には好きで、地元に根づいているお社さんだなという、東京なのにローカルな雰囲気を感じられるところが良い。

■芝大神宮
東京都港区芝大門1-12-7

・芝大神宮ホームページ
http://www.shibadaijingu.com/

3.瀧泉寺(目黒不動尊)

瀧泉寺と訊かれても「は?」とほとんどの人が反応する寺が通称・目黒不動尊。

目黒不動尊と訊かれたら、名前くらいは知っているはずだ。

大同3年(808年)に慈覚大師・円仁が、師の広智阿闍梨と共に下野国(現・栃木県)から比叡山伝教大師・最澄の元へ向かう途中でこの目黒の地に立ち寄り、像を彫刻して安置したことから始まったとされる。

江戸時代の浮世絵師・歌川広重の「江戸名所」には「目黒不動」として描かれているくらい、当時は参拝客で大賑わいだった瀧泉寺(目黒不動尊)だが、現在は穴場の寺院となっている。

歌川広重「江戸名所」 目黒不動

因みに山手通りからのアクセスが良いのだが、電車からのアクセスとなると、JR目黒駅より徒歩約20分、東急目黒線・不動前駅より徒歩約15分かかる。

逆に駅からのアクセスがやや不便だからゆえに、穴場寺院としての地位を保っているのかもしれない。

この目黒不動尊こと瀧泉寺も個人的には好きで、渋い参道には様々な店があり、大幹線の山手通りそばとは思えぬ静寂さが都会のギャップを感じさせてくれる。

■瀧泉寺(目黒不動尊)
東京都目黒区下目黒3-20-26

・泰叡山護國院 瀧泉寺(通称:目黒不動尊)
http://park6.wakwak.com/~megurofudou/

最後に

前述したように、筆者の好きな神社・寺院なので、本当は紹介したくないのだが、ケチケチ精神では御利益に授からないであろうから、思い切って紹介した。

みんなが行くことで、穴場スポットから大人気スポットになったら、それはそれでめでたいことだ。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099