鎮魂すべき!巣鴨刑務所跡地に建つ池袋サンシャイン60とその周辺地【連載:アキラの着目】

東京都豊島区東池袋にある地上239.7mの超高層ビル・池袋サンシャイン60
2019年04月25日

東京都豊島区東池袋にある超高層ビル・池袋サンシャイン60。

地上239.7mの高さを誇り、完成当時はアジアで最も高いビルだった。
東京都豊島区東池袋にある地上239.7mの超高層ビル・池袋サンシャイン60

この池袋サンシャイン60も含めたサンシャインシティには水族館もあり、東京の観光スポットとして有名だ。

かつては、東京の街を高所から観るスポットといったら、東京タワーと池袋サンシャイン60が断トツ人気で、展望台まで有料とわかっていても、池袋サンシャイン60に上る観光客は、新宿副都心に東京都庁舎ができるまでは、絶えなかった。

そんな東京の人気観光スポットとして知られている池袋サンシャイン60だが、意外と知られていないこともあるのだ。

これからいうことは、知る人ぞ知るで、昔からの地元住民や一部の国民にしか知られていないのだ。

それは何かというと、池袋サンシャイン60が建っている場所は、かつてこの地にあった巣鴨刑務所の跡地なのだ。

巣鴨刑務所ができた明治時代の池袋は、現在のような新宿、渋谷に次ぐような東京を代表する大きな街ではなく、以下の地図に「北豊嶋郡巣鴨村」と明記されているように、「東京の僻地」だったのだ。

1896~1909年の東池袋 中央の四角で囲まれたエリアが巣鴨刑務所
1896~1909年の東池袋
中央の四角で囲まれたエリアが巣鴨刑務所

「東京の僻地」である池袋には人がそんなに住んでいないから、この地に刑務所を造ったのだ。

ちなみに、池袋なのに刑務所名に「巣鴨」と付くのは、元々江戸時代に、この一帯の”大都市”は中山道の宿場町・巣鴨であったため、その影響で「巣鴨村」となり、その「巣鴨村」にある刑務所だから「巣鴨刑務所」となったのだろう。

年配の方々ならば、巣鴨刑務所という名称よりも、「スガモプリズン」という名称の方が、耳に聞き覚えがあるという人もいることだろう。

戦後間もなく、巣鴨刑務所は、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されると、「SUGAMO PRISON」(スガモプリズン)と名称を変え、A級・B級・C級戦犯が収容された。

これら戦犯のうちの60人(A級戦犯:7名、B級・C級戦犯:53名)が死刑となり、この「SUGAMO PRISON」(スガモプリズン)の絞首台で執行されたのだ(これ以外ではB級・C級戦犯の判決を受けた1名が銃弾により処刑)。

スガモプリズンの絞首台があった場所にある、東池袋中央公園の慰霊碑
スガモプリズンの絞首台があった場所にある、東池袋中央公園の慰霊碑

あくまでも都市伝説の域を超えていないと思われるが、池袋サンシャイン60の「60」は、この戦犯絞首刑者60人から由来しているという真偽不明な説も流れている。

この絞首刑によるA級戦犯者7人の遺体は、アメリカ兵による厳戒態勢の下、横浜市の久保山斎場で極秘に火葬された後、アメリカ兵が遺骨を全て持ち帰り、遺族には引き渡さなかった。

遺骨が遺族に引き渡されると、当然のことながら墓ができ、その墓が英雄崇拝の対象になるのをGHQが恐れたためといわれている。

後年に公開されたマッカーサー元帥の秘密文書によると、案の定、戦犯者の遺骨は「絶対に遺族に渡してはならない」との指示があったことが明らかにされた。

しかしながら、本来極秘であるはずの「SUGAMO PRISON」(スガモプリズン)での絞首刑によるA級戦犯者7人の遺体が、どうして久保山斎場で焼かれたことが当時わかったのか。

飛田美喜・久保山斎場長が、昭和23年8月21日以降、毎日火葬された遺体と翌日新聞で発表される処刑者数とを照合させた結果、その数が一致したからだとのこと。

その後、A級戦犯者7人の遺骨はGHQ占領軍が砕き、7人の遺骨を全部ごちゃ混ぜにした後に黒塗り箱に入れ、どこかに持ち去った。

ほとんど主要な部位の遺骨をGHQ占領軍が持っていってしまったことで、共同骨捨場には僅かに残った細かい遺骨と灰しかなかったが、飛田美喜・久保山斎場長がそれらを丁寧に掻き集め、火葬場の片隅に掘った穴の奥に密かに納めた。

そのごちゃ混ぜになったA級戦犯者7人の遺骨は、昭和35年8月18日に愛知県幡豆郡幡豆町三ヶ根山山頂付近に殉国七士廟が設けられ、その中の殉国七士の墓に遺骨が分骨され安置された。

飛田美喜久保山斎場長が丁寧に弔ったものの、本来遺骨を他人とごちゃ混ぜにすることがないだけに、A級戦犯者7人の霊は、まだしっかりと鎮魂されていないのではあるまいか?

その影響なのだろうか、池袋サンシャイン60は開業してから数々の不可解な事象や事件が起きていたり、池袋サンシャイン60周辺でも悲惨な事件が起きたりしている。

中でも1999年(平成11年)9月8日にサンシャイン60通りの東急ハンズ前で、当時23歳の男が包丁と金槌で通行人を次々と襲い、2人の死亡者(66歳女性と29歳女性)、6人の重軽傷者を出した「池袋通り魔殺人事件」が日本全国を震撼させた。

最近では、先日4月19日に豊島区東池袋4丁目の都道で、旧通産省工業技術院の元院長の男(87歳)が運転する乗用車が暴走し、母子2人が死亡、8人が負傷した事故が記憶に新しい。

現在の東池袋
現在の東池袋
1896~1909年の東池袋地図に凶悪事件・甚大な事故を重ねた地図
1896~1909年の東池袋地図に凶悪事件・甚大な事故を重ねた地図

一般的にいわれている池袋は、西口のロサ会館周辺はガラが悪く、東口のサンシャイン60側は若者ウケし、ガラが悪くないということになっている。

にもかかわらず、凶悪事件や甚大な事故が起きているのは、池袋東口のサンシャイン60及びその周辺なのだ。

もはや「SUGAMO PRISON」(スガモプリズン)の影響がない、と言い切るのには無理があるように思えてならない。

サンシャイン60及びその周辺エリアをしっかりとお祓いし、彷徨っている霊を慰め、鎮魂すべきではないだろうか。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099