目黒駅から徒歩15分に●●場!?(東京都目黒区)【連載:アキラの着目】

2019年08月10日

まずは現在の地図をじっくりとご覧頂きたい。

どの辺りの地図なのか。

そう、目黒駅から西側一帯の地図だ。

道もよ~くご覧頂きたい、変わった道が見えてこないだろうか?

東京の、それも目黒の地理に詳しい人ならば、特徴のある道を簡単に見つけられるかもしれない。

回答をいうと、丸みのあるカーブの小道から、このような赤い線のエリアを思い浮かべることができたら、かなりの目黒通(つう)だ。

実は、かつてこの一帯に目黒競馬場があったのだ。

1896-1909 東京
1896-1909 東京

なんと目黒駅から徒歩15分の距離に。

その目黒競馬場の名残で、前述した丸みのあるカーブの小道があったり、「元競馬場前」という名前のバス停があったりするのだ。

現在でこそ、この一帯は住宅地で、この辺りの目黒通りは中古家具店や中古インテリア店が多いことから「インテリア通り」とも呼ばれているが、元々は「東京府荏原郡目黒村」。

東京の外れにある辺鄙な農村だったのだ。

そんな郊外だから、巨大施設を造ってしまおうというのは、いつの時代でもよくあること。

明治時代もご多分に漏れず、1907年(明治40年)、東京府荏原郡目黒町(この時はすでに村ではない)に目黒競馬場を造ったのだった。

目黒競馬場 Wikipediaから引用
目黒競馬場
Wikipediaから引用

この目黒競馬場は1933年(昭和8年)まで存在し、現在の日本競馬における最高峰のレース「東京優駿大競走(日本ダービー)」も第1回は、この目黒競馬場で開催された。

しかし、東京の発展に伴う近隣の宅地化によって、目黒競馬場の敷地拡張や施設の拡充が難しくなったこと、その上、敷地の大部分が借地で、地主から地代の値上げを要求され、町議会議員からは町の発展を妨げると非難をされるようになったこと、等々により目黒競馬場は存続困難に追い込まれた。

その結果、さらなる郊外の東京市北多摩郡府中町(現:東京都府中市)への競馬場移転となったのだ。

辺鄙な田舎に競馬場を建てたけれども、次第に辺鄙な田舎ではなくなってしまい、ゆえにもっと田舎に競馬場を移転させたということなのだが、現在の目黒を知る者にとっては、昔の目黒が辺鄙な田舎というのがやはり想像できない。

江戸城の総構えの内側が江戸であり、それより越えてしまうエリアは江戸ではなく、だから目黒は江戸城外の辺鄙な農村だったといってしまえば、それまでだが。

FJ時事新聞
責任編集:拡輪 明-HS099